妻の許可なく早期退職金を株で溶かして個人再生中

某家電メーカーを早期退職して得た退職金を株投資で運用して、別居中の妻が住むマンションの住宅ローンを一括で返済しようともくろみました。 でも逆に全部溶かしてしまった上に、借金が残って首が回らなくなって個人再生を選択しました。 退職金が溶けたことはまだ打ち明けていません。

自己紹介

毎晩1時頃迄バイトして毎朝6時に会社に向かった日々

妻がメンタルな病気を抱えていたことも過去に長期入院したことも知った上で結婚しました。

結婚式も新婚旅行もなしに結婚生活がスタート。

そしてすぐに病気が再発しました。
アルバイトをして支えましたがピーク時には土日だけでは足らずに会社から帰ってからパチンコ店の閉店後の清掃バイトにも行きました。

会社は大阪、自宅は京都。
通勤に2時間かかったので会社で残業があった日は京都のパチンコ店に直行して通勤着で清掃しました。

清掃が終わって家に着いたのはだいたい午前1時から2時。風呂に入って就寝したのは2時過ぎ。

そして3時間眠ってから5時に起きて6時の特急で大阪に向かいました。

バイトのフリーペーパーで発見したパチンコの閉店後清掃の求人広告を見て昔のことを書きたくなりました。

実は大阪でオペラ座の怪人を上演したのは私の方が早い

特別なネタがないので、今回は自分語りの記事になります。

50代親父の自分語りなんか読みたくないと思ったあなたは、ブログ村のリンクを押して別の借金苦ブログを見に行きましょう。



アンドルー・ロイド・ウェバーのミュージカル「オペラ座の怪人」を劇団四季が東京で上演したのは1988年4月。大阪では1988年12月に上演。

実は、ほとんど知られていないことですが、既に閉鎖されてしまった森ノ宮青少年会館のホールに、劇団四季が近鉄劇場に流すよりも早く、「ファントムオブジオペラ」や「シンクオブミー」が流れたのです。



その芝居のタイトルは、「お寺座の怪人」です。



主人公のプリマドンナには、私の芝居を見て感動して入団してきた女子高生を抜擢しました。

劇団四季に負けないぐらいの純白で豪華なドレスを用意しました。

(舞台衣装などの中古を扱っている衣装屋さんで確か3,000円ぐらいでしたけどw)




超満員で立ち見まで出たホールでは、最後にはスタンディングオベーションまで起こりました。

(立ち見の人が拍手してくれただけですけどw)




大阪で初の記録を打ち立てた私は、今でもオペラ座の怪人の音楽が大好きです。

特に大好きなのは、「シンクオブミー」です。



コーラスガールだったクリステーィヌが、
mae




主役に抜擢される時に歌った曲です。
mae2




曲自体好きですが、両親を亡くしてコーラスガールとしてオペラ座を支えていた人物が一躍脚光を浴びる場面だからです。

私のように50代の親父がこれから脚光を浴びるなんてあり得ませんが、好きなのです。







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CDデビュー前のSMAPを知っています。

アクセス数稼ぎのようなタイトルになってしまいましたが、CDデビュー前のSMAPの話題には触れますので最後までお付き合いください。

このブログは、借金や個人再生のことを綴るために立ち上げたブログですが、どういう経歴の人物がなぜ借金で失敗してしまったのかをよりわかっていただきやすくするためと、せっかくお越しいただいた方が少しでも楽しんでいただけるように、他の借金ブログには無い内容も上げていきたいと思っています。

さて、SMAPの話ですが、私が宣伝の仕事をしていた時の話になります。

競合他社の宣伝や重要な新製品の情報は、広告代理店や広告制作会社などから漏れてくることが結構ありました。

当時の私の会社では、CMキャラクターにトレンディー俳優(死語)でのちに平子理沙さんの夫になるYを起用していました。それまでは、パッとしないタレントばかりでしたので、画期的なことでした。

そして世界最薄の家庭用ファクシミリのデビューの準備をしている時に、他社情報が飛び込んできました。


松下電器(当時)が、まもなくCDデビューする「SMAP」というグループを起用するらしい 

今なら、ネットで検索すればすぐに画像を見つけることが出来ますが、当時はまだそんな時代ではないので、すぐに写真を手に入れてもらうことを広告代理店に依頼しました。

写真を見ても、知らない顔ばかりでした。何人か男前がいましたが、これならトレンディ俳優Yで勝てると思いました。

SMAPは努力を重ねて、天狗にもならずに地固めをしながら成長していきました。

それに対して、Yは天狗になり、世間から嫌われ始めて、何を思ったのか渡米してしまいました。



Yに関して、思い出があります。

宣伝部員は撮影の際に立ち会います。Yの現場に立ち会った際に、「カレーライス騒動」が発生しました。

騒動というほどのものではないのですが、確か代官山のスタジオでスチル撮影をしていた時、昼食の時間になりました。

スタジオのすぐ近くには、名の取った中華料理店があったのでそこから出前が来ると聞いていました。

私的には中華料理は大歓迎です。食べ方のわからない日本料理やイタリア料理、フランス料理よりも中華料理が好きです。

Yが中華料理だと知った時のことです。


「カレーライス食べたい気分なんだけどなあ・・・」


この一言で、中華料理はキャンセルです。そして、YのマネージャーがYの好みのカレーライスを届けてくれる店を探すことになりました。

カレーライスの出前は、さすが東京なのでいくらでもありましたが、Yの好みでなければだめなので、マネージャー以外の人間が探すことが出来ません。

1時間後ぐらいに届いたカレーライスを食べながら、「なんで東京まで来て、カレー食わなあかんねん」と思いました。

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アダルト小説を書き始めた背景

このブログの更新は、毎日更新する予定ですが、毎日1話とか決めていません。2話、3話、4話・・・とかの場合もあります。

仕事が忙しくて帰宅が遅かった日やアダルト小説書きで忙しい日には、翌日日付になる場合もあります。

本日8月21日日付では、これが4話目になります。(日が変わるかも)

これを書いている裏で、テキストエディターが立ちあがってアダルト小説が途中まで書けています。

途中で行き詰ったので、気分転換にこのブログの記事を書いているのです。


アダルト小説サイトが、誰にばれてしまったのかは、まだ秘密です。もう少し引っ張ります。

今回は、自己紹介も兼ねてアダルト小説を書き始めるに至った背景に触れます。
 


中学2年生の頃、釣りが趣味だった私は、月刊「関西の釣り」という雑誌の「僕の私の釣り便り」というコーナーに、海釣りをしたことを原稿用紙数枚に書いて投稿しました。

そして、自分の名前が雑誌に載ったことを見て、大興奮しました。

それから、雑誌に投稿しまくりました。自分の投稿が取り上げられなかったことはほとんどなかったので、ますます文章書きにハマることになったのです。

高校を卒業して、某家電メーカーに就職して約1年後に、演劇に興味を持った私は、アマチュア劇団を立ち上げて戯曲を書くようになりました。



1980年代に、糸井重里さん、仲畑貴志さん、林真理子さんらコピーライターが注目を集める時代がやってくると、いつか物書きとして飯を食いたいと思っていた私は、糸井さんや仲畑さんらを生んだ「宣伝会議コピーライター養成講座」の門を叩きました。


コピーライター養成講座修了後、転職活動を始めました。

通販会社の宣伝部門の内定を取り付けた私は、上司に退職願を提出しました。

退職願を受け取ってもらえたので、身辺整理を始めた矢先に、辞めるはずだった勤務先の宣伝部長に呼ばれました。



「宣伝の仕事に興味あるならうちに来るか?」



転職先も決まった、退職願も出した状態でしたが、あっさりと「お願いします」と残留を決意しました。

内心では、会社をかわらずに宣伝の仕事をしたいと思っていました。でも工業高校機械科卒業の私が宣伝部に異動できるはずがありません。

翌月から宣伝部での仕事が始まりました。周りの人は国立大学や有名私学卒業の方ばかりです。会話をしていても頭の良さが感じられる方ばかりで、「えらいとこに来てしまった」と思いました。

宣伝部での仕事が始まりましたが、ほとんどの広告が代理店制作なので、「文章が書きたい」という欲求は満たされませんでした。

そのため、戯曲書きは継続し、競馬コラムなども書き始めました。競馬コラムは数年続けました。

最後の頃には、特別寄稿で、競馬雑誌社からギャラを受け取ったこともあります。


数年続けた競馬コラムに飽きてきた頃に、あるアダルト告白掲示板を見つけました。

「これや!みんなを興奮さしたろ」

そう思った私は毎週のように、いろんな名前で妄想を書き綴りました。いつも単発話ばかりだったので、ある時、連載物を書こうと思いました。

第1話を掲示板にアップしたところ、絶賛されました。

第2話、3話と更新すると、そこのフリー掲示板は私へのファンレターで埋まりました。

当然、競馬コラムの時よりも反響が凄いので、やがて自分のサイトを作りました。その時には広告で儲けようなんて全く考えていませんでした。

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私に個人再生を決めさせた出来事

(このブログは当面の間、これまでの私の軌跡と、日々のことを時系列無視でアップしていきます。)

退職金が完全に溶けてからでも、株投資で一発当てようとしていました。
それも出来なくなってからでも、必死で自転車操業のためにペダルを漕ぎ続けていました。

でも、まず最初に最大金額をお借りしていたA銀行から新規融資を止められてしまいました。
毎月の返済が52,000円だったのですが、52,000円返済するとその直後に約45,000円新規融資を受けることができました。ですので、A銀行への毎月の返済額は実質的に7,000円でした。

その新規融資を止められた月から急激に追い詰められていきました。

延滞が始まると、当然ですが督促の電話がかかりました。やがて、勤務先にも・・・。

勤務先に、取り立ての電話をすることは違法と思っていたのですが、認識が甘すぎました。
個人に電話をかけても連絡が取れない場合は、勤務先に電話をかけることは許されるのです。

勤務中に、ケータイに着信が入ります。仕事中なので当然出れません。
着信を数回スルーすると、勤務先に電話がかかってきました。

毎月のように、いろんなところから電話がかかるので、上司や同僚に気づかれました。

こんな状況になっても必死に自転車のペダルを漕ぎました。

でも、ついに恐れていたものが届いたのです。

SN3V0582

消費者金融が、一括返済を求めて東京簡易裁判所に申し立てした訴状が届いた瞬間、自転車のチェーンがブチッと切れてしまいました。

東京簡易裁判所での民事裁判が開かれるのは2016年7月1日。
夜行バスのチケットを買って準備しました。

そして、大阪弁護士会の相談所に行って、弁護士にこの裁判以降、どのようなことになるのか尋ねました。

「すぐに動いた方がいい」

その場で、弁護士に依頼しました。


この時点での債務は次の通りです。

銀行2社から300万円

消費者金融数社やクレジットカード数社から220万円 

他に、固定資産税25万円、副業にかかる住民税5万円 

 
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